僕がサーフィンを始めた理由

一番最初に波乗りしたのは(というかしようとしたのは)、遡ること22年も前のことになります。
当時僕は新聞奨学生なるもので、朝と夕方はせっせと新聞を配達して、昼間にがっこに行くといった勤労青年でした。
もっともよくあるパタンで、ド田舎からいきなり東京に1人で出てきて、6ヶ月ばっかりはおとなしくしていたのですが、夏休みを過ぎるとがっこにも行かなくなり、そうなると新聞なんか配っているよりもっと割の良いバイトもあるし、色々なおねーちゃんの誘惑もあるしで、新聞配達屋も辞め、あとは坂道を転げ落ちるごとく立派なプー太郎の道をまっしぐらです。
ちょっと話は横道にそれますが、当時の僕が生き延びられたのは、最後に引っ越したとこが千葉の片田舎だったことに大きく影響しています。
当時借りていたアパートの周りは畑だらけで、トマトとかキャベツとか大根とかいっぱい畑にあって、野菜には困りませんでしたから。
もっぱら収穫は夜で、というか深夜で、嬉々として20個ばっかり収穫してきたトマトが全部青かったときは涙が止まりませんでした。
もちろん空腹で死にそうな僕は、赤くなるまで待てなくて青いまま食べましたが。
近隣のお百姓さん、もう時効かと思いますがすみませんでした。
ついでに、8ヶ月滞納した家賃の返済を、バイト代全部はたいても6ヶ月分しかなくて、残りの2ヶ月分必ず後で返すからといって未だ返していない大家さんにもあやまっておきます。
こっちも時効かと思いますが・・
このあたりの話をしだすと「お前本当にこの時代に日本にいたの?」って言われそうなサバイバル生活だったのでこのあたりで止めておきます。


人生転げ落ちる直前あたりにまで話を戻しましょう。

その当時の友人で、藤沢に住んでいる黒ちゃんて人がいて(話の展開は見えると思いますが)この人がサーファーだったんです。
たしか僕より5つくらい年上だったと思います。
何故友達になったかはあんまり憶えてないんですが

「ヒロ サーフィンしたことある?」
「いやないっすよ」
「んじゃ 俺んちに泊まりにきて 波乗りするべぇ」

ってことで、藤沢の黒ちゃんのとこに遊びにいくことになりました。
当時サザンオールスターズがTVに出てきて間もない頃で、藤沢ではパチンコ屋も、喫茶店も、ラーメン屋もサザン一色で、なんか自分もあの唄の中にいるような、そんな気分にすっかり酔ってしまいました。
しばらく僕も語尾に「×××べぇ!」とか真似して言ってましたし。
黒ちゃんの車(もちろんぼろぼろのステーションワゴン)に黒ちゃんと黒ちゃんの彼女とでなじみのバーとかに連れていってもらって、当時18の僕は精一杯背伸びして水割りとかガバガバ飲んで、もうへべれけです。
何時、黒ちゃんの家に帰ったか全く記憶がありませんでした。
次の朝二日酔いで半死人の僕に
「よっしゃ 波乗りするべぇ」
とかやたらに元気な黒ちゃん
引きずられるように外に連れていかれ、はじめてみるサーフボードを車に積んで・・
って、結局この日は波が無くて波乗りはできなかったんですけどね。


そんなこんなで、人生の紆余曲折があり
時効になってない物語もありで(笑)
いきなり現代に戻ります。

いまだに当時のサザンオールスターズのナンバーが大好きで、聞く度に当時の記憶がよみがえり、すごく切ない気持ちになります。
そのときに愛していたひと、守れなかった約束、結局嘘になったこと、なんとなく忘れ物をしてきたような・・そんなことを思い出して。
その忘れ物の1つにサーフィンがあったのですね。
もともとは、22年前に黒ちゃんに誘われてそのまま行けずじまいになった波乗りをやっと今になって始められたわけです。
僕にとってこの年で波乗りを始めたのは、もちろん波乗りをしてみたいとずーっと思っていたこともあるんですが、いろんなことが輝いていたあのころに戻れたらなぁて思いもありかな。


もっともそんなことを考えていられるのも行きの車の中だけで、波乗りしてるときはそれどころの話じゃないですけど。

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少し大人になった数年後、黒ちゃんに電話したことあって「波乗りしてる?」って聞いたら「もうやめた。今は電気屋ですっげー忙しい」とか言っていた。
彼女は?「誰それ?」(笑)

僕の中で変らなかったものって何だろう?

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