ヒドクツカレテルカラ…

あまりに身体が疲れすぎて、もうなにもしたくないのだ。
こんなときは、ひたすら何もしない。
1時間ほど半身浴しながら、古い小説を汗だくになりながら読む。
もう定期生産体制に入った密造酒を飲みながら、ひたすら小説を読む。
そんで眠くなったら寝るのだ。
怠惰と言われようが、肥ろうが知った事じゃないのだ。
食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、好きな本を読んで泥のように眠るのだ。
もう3,4日こんな調子だ。

それで重大なことを発見した!

もともと、一度読んだ本は読まないんだけど、そんなこんなで、ちょっと立て続けに既読の本を4冊ほど読んでみた。
古いのは20年も前に読んだのだし、比較的新しいのだって3年位前によんだ本。
まあ、20年も経ったのはさておいても、3年前だとある程度覚えているのが普通かと思う。
でも、最後の結末すら覚えて無くて、とても新鮮な感じがする。
読んだ本が全部そうなんだから、ある特定の本ってわけでも無いと思う。
それに、再読するくらいの本だから、もちろん気に入ってた本なのだ。

で、春樹さんの「風の歌を聴け」を読んでいるときに、いきなりひらめいた!

『僕は、本を頭で読んでいなくて、心で読んでいるんじゃないか?』 と

成人のヒトで唯一代謝し再生しないのが脳細胞だったはず。
僕は、心は頭の中にあるわけじゃなくって、絶対それ以外のところに宿っていると信じて疑ってないのだ。
そうだ。
つまりは、心も身体と一緒に代謝して、時間の経過とともに新しく入れ替わっているんじゃないかと。
だって、脳は損傷すると治らないけど、身体も心も傷を負ったって治るじゃない。
経験則から言うと、心の代謝って3年位じゃないかと思う。
きっとそうだ。
だから、3年より前に読んで心に記憶された物語は、代謝してしまって覚えてないんだ。
かろうじて脳に記憶された断片だけが、脈絡もなくポツリポツリと残っているだけなんだと。
年取って記憶が衰えたわけじゃないんだと(きっぱり)。

大発見をしてしまった。

えーっと
寝よっ。