「終戦のローレライ」を読みながら

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  • 更新:2014年6月10日
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終戦記念日でもないし、じさまの命日でもないけど、今読んでいる本のせいか色々と考えてしまう。
がっこの勉強は大嫌いで、歴史なんて、日本史だろうが世界史だろうが全く興味無しで、ひたすら睡眠時間にしていたから、比較的近い過去の第二次世界大戦のことなんかも、笑っちゃうくらい何も知らない。
というか、戦争もそうだけど、そもそも人と争うことが大嫌いな僕にとって、国家単位で殺し合いをするなんて理解の範疇を超えてしまっている。
つまり、知らないことが幸せみたいになっているわけだ。

うちのじいさまは、死んでもう十数年も経つ。
大きな戦争を2度も経験し、2度目の戦争は、まさに今読んでいる小説に出てくる呉軍港から、まだ小さな僕の親父を胸に抱いた祖母に見送られ出征していったと聞いた。
それぞれが、どんな気持ちで見送り、見送られたかは想像にかたくない。
じいさまが死んだ通夜の晩、ずっとそばに寄り添っていた年老いた祖母の姿を思い出す。
その祖母も、今はじいさまの隣で、もう離れることもなく、二人で僕の数々の悪行を、苦笑いしながら見守っていることだろう。

ガキの頃、断片的に戦争の話は聞いたけど、たぶん誰にも話せなかったことが沢山あるんじゃないかと思う。
(そのまま墓に持っていっちまったけど)
今思うと、もっと色々聞いておけばよかった。
働き者の腕の良い大工が、戦争にかり出され、見たくないことを見、やりたくないことをやらされ、少しずつ何かが壊れていったんだと思う。
右腕に貫通した銃創があり、そのせいで大工が続けられなくなったと聞いた。
戦争から帰ってきて、仕事もせず、ひたすら信心深く、ただただ1日1日を消化するように、生きていたのは、その傷のせいでは絶対にないと思う。

さて、いま読んでいる本、どういった結末を迎えるんだろうか?
すこし、歴史の本も読んでみようか・・

って思いながら、読んでいる本です。