コイン1枚の重さ

ここんとこ古い小説を読んでて思う。
20年以上も前と今が決定的に違うのが携帯電話の存在。
もちろんネットワークとかもあるけど、たぶん普及率からいえば圧倒的に携帯電話の方だろうな。
だから小説で公衆電話を使うシーンとかあると、少しだけ時代の差を感じる。
それは古臭いといったネガティブな感じじゃなくて、とちらかといえばちょっと懐かしくてノスタルジックな感じなのだ。

昔は彼女に電話をかけるのって何時だってドキドキした。
親とか兄貴とか出ちゃうと最悪。
そりゃ今だってきっとドキドキするだろうけど、何時でも何処からでも、しかも直接本人に繋がるわけだし、メールだって使えるのって、便利が故になんだか本当に伝えたいことが正しく伝わらないような気がする。
チャンスが何度でもある福引みたいでドキドキ感が違うのだ。

CMで「何時でも繋がってる」とかなんとか言うのがあった気がするけど、何時でも繋がってるのって、『まぁ何時でも繋がってるし後でもいいや』って思うのは僕だけかなぁ。
少ししか時間がないから大切にしようとする。
近すぎるより、少し離れてもどかしい位が想いは募る。きっと。

もう遙か昔、僕が東京に出てきた頃の話。
わずか数枚の10円玉を握りしめ衆電話に向かう。
与えられた時間はわずかしかない。
たぶん多くて6秒。
この時間に大切な想いを伝えなくてはならない。
ダイアルする指も少し震える。

トルゥルゥルゥルゥー トルゥルゥルゥルゥー
カチャっ

「はい○○です」

懐かしい声に泣きそうになるけど、残り時間は後4秒。
予め準備しておいた短いセンテンスを少しつっかえながら伝える。

「おっ俺 ○○です。金無い。送って!」

プツッ ツーッ ツーッ ツーッ

そう、実家に金の無心。
もう3日もほとんど何も食ってなくて餓死しそうだったし、部屋中探しても20円しかなかった。
しかも、見つけたのは5円玉と1円玉だったから恥を忍んでスーパーで10円玉に両替してもらったのだ。
10円玉のなんと重かったことか…
だって命かかってたもの。